旧少女漫画

引き続き竹宮惠子の「竹宮惠子のマンガ教室」を読んでます。
少女マンガのコマ割りが今のようになったのは、大島弓子がきっかけらしい。
今じゃすっかり当たり前(?)で、むしろ古めかしくて誰も使わなくなったくらいの、
三段ぶち抜きコマなども、彼女が創始とのこと。
しかし、実は私は彼女以前のコマ割りといわれても、ピンと来なかったりする。
24年組以前の少女漫画家なんて、読んだことがあるのは里中満智子くらい。
そんなわけで、大島弓子がどう変えたのか、はいまいち分からない…。
けれども、とにかく彼女のコマ割りは独自だと思う。
てか、彼女のマンガ自体が特殊だと思う。
あの、一人称で、誰かに語りかけるテンポの良い文体は、今も昔も、誰にもまねが出来ない。
彼女のマンガでは、文字というものが、他のマンガに比べて非常に重要な位置を占めていると思う。
特に意味もないようなその時主人公が思った感情を適当に並べることにより、
なんともいえない絶妙な間や、空気を感じる事ができる。人に物を考えさせるマンガだ。
とは言っても、文学的に物を考えさせるわけじゃない。
小説でこれをやったら、何が何だか分からない、つまらない物になるだろう。
マンガだからこそできる、空気で考えさせるマンガだと思う。
何かいまいち上手く言えないから分からない人は読め!
この本には他にも色々興味深いことが書いてある。
感情の表現を吹き出しであらわしたのが、わたなべまさこだ、ということ。
震える声を、吹き出しで震えることで表したのが始まり。
これに、当時の人々は皆衝撃を受けたらしい。
今、マンガの表現は割りと書き尽くされたのか、こうゆう衝撃を受けるような新しい表現が中々見られない。
最近では、ワンピース等でよく使われている、内側に向かう吹き出しだろうか。
でも、私はあれの創始は誰か分からない。知ってる人、教えてくれませんか?
ちなみに初めてBASARAを読んだとき、ひし形の口に驚いた記憶があります。
今じゃパタリロ!を見慣れたので、それもすっかり普通に思えるようになってしまった。
あのひし形の口は秀逸だ。
その他、竹宮惠子は、「プロの技を盗め」というコーナーで、細川智栄子についても書いている。
細川智栄子といわれると、真っ先に、あの大げさな展開と、
やたら多いギザギザ吹き出しが頭に浮かぶが、それではなくて、彼女の絵柄についてだ。
彼女の絵は、非常に華やかだ。昔の少女漫画など、大抵大きな目の中に星がありキラキラしていて派手だが、
彼女の絵は、それらの絵の中でもダントツに華やかだ。
それは、他の漫画より線が細く多くかかれていることにも秘密はあるが、やはり、一番重要な点は、その目元にあると思う。
細かくちりばめられた目の星、そして沢山生えたまつげは、一本もずれることなく、綺麗に先までかかれている。
竹宮惠子は、以前からこのことを不思議に思っており、実際に彼女の原稿を見たそうだ。
すると、なんと、全てのまつげの先に、ホワイトがちょこんと乗っていたそうだ。
線が多いことは、華やかさとゲジゲジさと、紙一重だ。
彼女はこのホワイトの点で、全てのまつげをばさばさでうっとおしく見えない程度に制御しているのだ。
これには私も驚いた。彼女の華やかな絵には、やはりこうゆう隠れた所に秘密があったのだ。
彼らは昔の漫画家は、低い漫画の地位を引き上げようと必死だった。
だからこそ、さまざまな素晴らしい話も出たし、展開や絵にも本当にこだわっていた。
漫画を描いていた人は、大抵頭の良い人たちだ。
けれども、最近の少女漫画ではそんなのが見られない。
いかに商品として売れるのか、を考えているのかどうかは分からないけれども、とにかく内容が薄い。
内容が薄い漫画もあって当然だし、そうゆう物の方が広く受け入れられる世の中になっているからかもしれないけれども、
それにしても最近良作を見ない。
まぁ、つまり何を言いたいかっていうと、愚痴とかそうゆうのではなくて、
竹宮とか萩尾とか生み出した凄い雑誌「少女コミック」が、どうして今あんなんになってるんだ!っていう…