しまりんごに殺される。

追悼。

摩利と新吾―ヴェッテンベルク・バンカランゲン (4) (Princess comics excellent)
摩利と新吾―ヴェッテンベルク・バンカランゲン (5) (Princess comics excellent)
やばい。萌え殺される。助けて。おぼれる!!むしろ死にたい!!
何か、確かに風木程名作じゃないし、ポイントを絶妙についてると思いきや
少しずつ失敗しちゃってるような原因不明のもやもや感が、
私の胸の中でどんどん広がって、そのため一日中考えてしまいます。摩利と新吾のことを。
正直これは恋だと思うんだよね。同じだと思うんだよね。
ああ、もうどうして二次元に生まれなかったんだろう。間違えた。確実に間違えた。
次は確実に二次元に生まれるぞ☆創作物にナルゾ☆
 
この漫画は、JUNE古典として、風木と並び称されることが多いのですが、風木と比べると、やっぱ弱いと思います。
流石にあそこまで作りこまれていない。竹宮惠子はフランス文学を描こうとしていたっぽいなぁ。
やっぱり竹宮惠子は、少女漫画を革命してやろう精神が凄く強かったけど、木原敏江はそこまで強くなかったのかしらん。
ちなみにこれが風木ほど評価が高くないのは、何となく理由が分かる気がします。
この漫画は、ジルベールがいない、セルジュの学生生活って感じです。
良い人々から見守られて、学ぶべきところがたくさんあって…て、そこ止まりな感じ。
摩利と新吾は、完全に従来の少女漫画のノリです。革命作品としては成り立ってない。
ただ、性愛について普通に描いちゃうところは、アレですが…。
ノーマル少女漫画でカップルが、「今度こそキスしようね☆」と約束しているであろうシーンを、
摩利と新吾では、「今度こそセックスしような!」と意気込んでいます。危険です。
 
私は黒髪元気系正直ショタ少年が好きだと主張しつづけているのですが、
そんなキャラが性愛について物凄く奥手なのが凄く萌えるのですが、
その一方、物凄く奥手と見せかけて案外あっさりと受け入れてしまった場合なども物凄く萌えるのです。
新吾は後者でした。でも、物語中盤に差し掛かったあたりで、
新吾があっさりとそれを受け入れてしまったため、新吾がどんどん強い人になっていってしまっている…。
やばい、このままじゃ新吾が攻めになっちゃう。だめ、絶対。
その反面、どんどん摩利は自分より弱かったはずの新吾が、段々強くなっていく事に戸惑いを覚えている上に、
先輩に犯されちゃっていますから、もうそろそろ受けになってしまいそうです。だめ、絶対。
セルジュの時の悲劇を繰り返してはいけない。まぁ、あれはあれで良かったけど。
ちゃんとオーギュ相手があったから!!
気になるのが、摩利の見た目が全然成長していないのに反して、新吾の見た目がどんどん大人びてしまっている事です。
最初坊主に近かった新吾の髪の毛が、段々と伸びて、家出あたりで一番私の心にヒットする長さになったのですが、
もうこの巻では、すでに襟足が肩につくほどの長さになっています。この髪型はおっさんへの第一歩。
そして、前髪を分けるのはいけない。絶対にいけない。
ショタたるもの、髪の毛は程ほどに長く、肩までつかないを守ってほしい。
セルジュのときも悲劇でした。前髪が突如分かれたかと思うと、
次の瞬間には髪の毛がサリーちゃんのパパみたいになってしまっていて、もはや可愛いとはいえなくなっていた。
ショタは前髪が命なんです。前髪とショタ度は反比例するんです!お願いだから、これ以上攻めっぽくならないで、新吾!
 
何か、もっとちゃんと作品について語りたいんですが、
となりでラストクリスマスがやっているため、全く集中できなくて、自分の思いのたけだけ語ってしまった。失敗。
もっと頭の中整理しなくちゃ。この作品に関しては、ただでさえ感情の整理がつかないのに。
何か考えたこと全部まとめてかかなくちゃ、どうしてもすっきりしない。でもまあいいや。
 
バイト先の社員の人、前から同類の匂いがすると思っていたら、やっぱり同類だった。
私が摩利と新吾を読んでいたら、凄いきょどりながら話しかけてきた。
その後の会話のきょどりかたも、同類だと思った。
 
 
ヤフオクで落とした、たまのライブビデオが届かない。もう一週間たつのに。
あと、くるりCoccoのライブ行く事になった。姉がチケット落としたので。